【※ご注意】
正常精子率1%で、培養士の独断で顕微受精です。
受精卵のスクリーニングもできていません。
自然妊娠や体外受精ならできていた自然淘汰(精子の競争)もできていません。
健康な子を出産できるのか。
一参考事例として、下記タイトル分だけ、不妊カテゴリのここで更新します。
よろしくお願い致します。
・不妊クリニック卒業
・出生前診断について
・出産or早産or流産or死産
・出産できた場合、満1歳時の障害有無
・満2歳時の障害有無
・満3歳時の障害有無
産前と産後の母体変化の経緯です。
主にマイナートラブルを書き殴る内容となります。
【産前の母体変化】
・つわりで妊娠前より7Kg減る
・臨月迄に妊娠前より10Kg太る
・臨月迄、たん&唾液つわりが残る
・臨月迄、生物、にんにく、辛いものが食べられない
・妊娠後期より浮腫がどんどん酷くなる
・浮腫が酷くて臨月なのに歩くなと指導される
・つわりの頃から右手の人差し指の先が痺れ感覚がなくなり、たまに痛みすらある
→妊娠のせいではなかった、産後2ヶ月経った今も治らない。
・妊娠初期から尿蛋白が+
→産後1ヶ月検診でも+、現在ももしかしたら治っていないのかもしれない。
・予定日直前に血圧が上がり妊娠高血圧気味になる
・妊娠後期に赤ちゃんの心室中隔欠損の疑いがかかる
→1週間毎晩泣いた後、現実を受け入れ始め、万が一ダウン症だった時の事を想定して支援施設などサポートについて調べる。
結論
→安定期以外、辛かった。
【産後の母体変化】
・過敏な陣痛に比べれば帝王切開は蚊に刺されたようなものだった
・翌日からすたすた歩けた
・後陣痛(子宮収縮に伴う痛み)もただの筋肉痛程度だった
・子供の病状が具体的になり入院中毎日半泣きで過ごす
・予定日から主人が謎の高熱で2週間近く倒れた為、誰もお見舞いにこなくて寂しくて半泣きで過ごす
→マタニティブルー極まっていた。でも最低限の荷物で入院したから欲しい物資がなく、家に持ち帰って欲しい物資もあり、大変不便だった。ついでに自宅育児の予定だったのに主人の熱が子供にうつるのが心配で急遽里帰りする羽目になった。身体は痛いし状況はドタバタだし、地獄だった。
・3Kgを出産したのに出産翌日の体重がなぜか1Kgしか減らない
→1週間に退院して自宅で測ったら7Kg減っていた、どう考えても病院の体重計がおかしい。病院への不信感が少し湧く。
・産んでもお腹がたるみっぱなし
→産後2ヶ月でそれなりに引っ込んだ。特別な運動はしていない。ガードルもしていない。
・産んでも痰、唾液つわりがあまり改善しない
・産んでも足のむくみが全く引かない
・悪露は1週間後の退院時にはだいぶ治まる
・が、退院2週間後に突然大量の悪露が出る
→母に子を預け里帰り先の近所の病院に診てもらった所、胎盤の一部がまだ残っていた。
・残った胎盤を掻き出してもらう
→痰唾液つわり、むくみが1日でなくなり、産んだ病院への不信感が強まる。
・ 帝王切開の傷は2ヶ月経った今でもたまにちくちく痛むし、かゆい
→産後1ヶ月は毎日一錠ロキソニンを服用していた。
・退院後2週間くらい右足の股関節痛で歩行難になる
→胡座座りが原因だった。ソファー座りに変えたら治った。
・退院後1ヶ月は子供が生きているか毎日不安だった
→この間だけで夜間救急へ1回受診、小児科へは3回受診、夜間の電話相談へは2回かけている。
結論
→産後1ヶ月は無理厳禁
まだまだ育児に試行錯誤していますが、生後2ヶ月経った今、やっとどうにか落ち着きました。
そういえば、体重は10Kgも増えたのに妊娠線出なかったな……。
特にクリーム手入れも全くしなかったです。
そもそも妊娠線は、クリームなんか届かない皮下脂肪が急激に膨張した時の肉割れ現象なので、ゆっくり太れば問題なかったです。
妊娠線クリームはただのマタニティ商戦だと思いました、買わなくて正解でした。
肉体的には産後1ヶ月は無理です。
どこもかしこも痛くて走るのも無理です。
精神的には、娘が心室中隔欠損なのをたまに忘れそうになる程度には落ち着きました。
最後に、胎盤を完全に掻き出したら1日で軽快した足のむくみの写真を貼っておきます。