【ご注意】
気持ちをまとめているだけの日記です。
個人的な経験則に基づくただの持論です。
体験記録ではないし、持論の為各々意見の相違もあるかと思います。
読み進める場合はあらかじめご理解をお願いいたします。
早期(初期)流産とは、妊娠12週未満で起こる流産を指します。
流産全体の80%にあたり、要因の殆どは胎児の染色体異常と考えられているそうです。
妊娠している身としては早期流産して悲しい思いをするくらいなら、どんな状態でもがんばって産まれてほしい、と願う人が多いのかな……?
いや、私だってできるなら頑張って欲しかったですが。
結構いろんな早期流産の方のブログを読んだのですが、どうにか赤ちゃん頑張って、そういうのが多かったから、産まれてほしい願望が多いと感じたのですが。
ただ、もし、、もし、です。そんな事はあり得ないんですけど。
人間の身体が早期流産という染色体異常の淘汰をせず。
染色体に異常があっても、必ず産まれるようになってしまうと。
産まれた子供(人間)はなんらかの障害者になる確率が高くなってしまうのです。
私には一歳半年下の妹がいます。
現在は療育手帳の4度(軽度)を取得し、自営業の両親と共に暮らしています。
のほほーんとレジを打ち、心穏やかに過ごしているようです^^
両親は将来施設へ入れるお金を貯めており、死後は私が妹の金銭管理をする予定です。
私と比べ生まれた時から弱弱しい鳴き声だったそうです。
食は細く、笑う表情はないものの、一歳まではそこまで発育に違いはなさそうにみえたらしいです。
自閉症はある「物」についての執着が激しく、こだわりが半端ない性格がでます。
人の何倍も苦労しますが、学習する事はできます。
(数字が2~3個足りないテンキーを酷使するようなものだと思ってください)
それと、うちの妹は感受性が高かったです。
・お遊戯会の衣装をステージ上で全て脱いでしまう
→いつも着ている服ではないから。新品の服も何度も習慣づけないと脱ぐ。
現在は脱ぎはしませんが、それでも3日間同じ服で過ごしたりしています。
・どんなにお腹が空いても、一人で手づかみで食べられない
→離乳食時に食べ物は「食べさせて貰うもの」と認識されているから。
親が何度も掴ませて口元に持って行っても泣きまくって口をつけられない。
本人はそばに好物があるのに、お腹がすいて仕方ないのに食べられない。
困った妹は私の手に好物を持たせて、それに噛り付いたそうです。
・助詞が定まらない
→「て・に・を・は」を上手く使えない。「に」を多用。「が・は」もわからない。
困るのは言葉が定まらないだけで同学年の子から頭がおかしい子といじめられる。
軽度自閉症はパッと見は普通の人とかわらないし、
ひいき目はあるかもしれませんが、妹は顔の作りが美少女寄りでした。
かわいー!と近寄ったら変人だった、そのギャップが酷かったのかもしれません。
・掛け算、割り算、足し算、引き算をなかなか理解できない。
→足し算を覚えると引き算ができない、引き算ができると足し算を理解できない。
掛け算、割り算も同じで、通常の人の何倍も時間をかけてやっと覚え込ませる。
・ある分野で特出した能力を見せる
→2歳で文字も読めない時に、祖母が鉄道の各駅を順番に読み聞かせたそうです。
二往復読み聞かせた後、妹は一言一句駅の順番を間違えずに復唱したそうです。
それと切り絵と図画の才能も幼少期はありました。
・感受性が高い
→邦楽、洋楽、民族音楽、テクノ、トランス、流行る前に先取りしていました。
髪型もあむろちゃんに憧れてストパーかけてました。性に対する意識も高かった。
母は、この程度なら普通学級にいれて努力をすればなんとかなる、と信じていました。
妹にはこだわりがあるのに、その個性を受け入れられず何度も学習を強いました。
物心ついた頃からの夕食は、私にとっても妹にとっても地獄でした。
泣き叫ぶ妹にパンを持たす、投げ捨てる、拾って持たす。
パンは大丈夫になった、でも麺はダメだ、食べ物の形状が違うから。
それがスプーンにかわる、フォークへ、お箸へ、、、その間、永遠に泣き叫ぶ。
妹が普通に一人で食事ができるようになったのは小学校へ上がるちょっと前でした。
私は手間のかかってはいけない子供だとすぐに自覚しました。
一人で黙々と胃へ押し込むように食べ、(箸の持ち方も、一食食いも注意されず)
妹の叫び声にかき消されながら誰にも聞いてもらえず、「ごちそうさま」。
ああ、服も国語や算数などの学習も人間関係も、だいたいそんな阿鼻叫喚でした。
自分の常識の何が悪いのか。わからないけど虐められているのは良くわかる。
人並みに期待されている、親に応えたいし、うまい事やりたい。
そのたびに妹は「私は鳩になりたい、鳩になりたい」と泣き訴えていました。
(自閉症でも人並みの事、妹はわかってたんですよ。私には伝わりました。)
それでも、私たち家族はそれが正しい事なんだ、姉の私が補助するのは当然だが、親が死んでしまった後、彼女が自立して生き残るためにはこの教育が最善なんだ。
信じて、努力して妹へ接してました。20年以上も。
血の滲む様な努力の結果、妹は商業高校創立初の入学・卒業を成し遂げた心身障碍者となり、普通の人でも履歴書で書ける程度の簿記資格まで取得し、障碍者枠で一般企業へ就職しました。
が、思いの外、妹は頑張りすぎてしまいました。
もっとできると仕事の量が増え、元来真面目で頑張り屋に育てられた妹は無理が増え。
うつ病を発病して会社を辞めました。
………そこでもう無理をさせなきゃよかったのに。私は止めたのに。
母は別の会社へ障害者枠で転職させました。
結果、その会社で心無い健常者の上司にいじめられ、精神病へ悪化しました。
ただの結果論にすぎません。でも。
私達日本人の思う「普通」なんて、彼女は要らなかったのにね。
どんな子供でも育てるのは大変だと思います。
健常者でも障害者でも、良い人生とは犯罪を犯さず穏やかに過ごせる事だと思います。
でも、どう育てるのが最善だったか。障害者だとよりハードルがあがります。
さすがに転職のときは、もっと強く止めて、母を叱ればよかったと後悔しています。
でも、両親も妹も最大限努力をしたんです。
多少母には毒っぽい要素はあるなぁと大人になってから思いましたが。
それでも、父や母の試行錯誤と努力を私は責めません。むしろ偉業です。
私たち家族が、赤の他人に批判非難される筋合いもございません。
「普通」「常識」をかざして、私達を助けてもくれなかった癖に。
赤ちゃんは産んで、「わ~可愛い❤」で終わるわけじゃありません。
産むのは【一人の人間を育てる事】の、始まりです。
それで、私は障害者をうまく育てられるのでしょうか。
生まれた時から軽度の自閉症がいたくせに、今でも私に自信は持てないのです。